2011年1月4日火曜日

あけましておめでとうございます。

合唱音楽一般について自分の考えること

題目はさておき、自分がどのように合唱音楽、音楽と向き合っているかというと、やはり、飾りのない、シンプルな表現につきると考えます。

ブルックナーのミサF-moll
余分なものを廃したシンプルなもの、できるだけ譜面に忠実なものを目指したいと考えます。合唱団もいっぱいあり、オーケストラも合唱団も多くある今日、どのようにそれらと関わっていくのかというのは、大きな問題です。
自分がやる限り、自分の求めているもの、と言う観点からは、日本の合唱『声楽』と、外国のそれと、どうしてこのように異なるのか、、、歴史が異なると言ってしまえば、食べ物が異なると言ってしまえば、、、言葉が異なると言ってしまえば、、、。声楽家、専門教育を受けた者としては、落第であります。大和撫子でも、きちんと欧米の作曲家が残してくれた作品を対等に或いは、より作曲したとおりに歌うこと・演奏ができる・・・。のは、高校生の時代から思っていた、あこがれでした。単に、良い声で素晴らしく歌う。・・・言い声だったね・・・よりも、良い歌だったと評してくれる様な歌・・・が歌って見たい。聴いてみたい。なかなかうまく言えませんが、、、いつも自分の考えていることでした。

16歳の時から、合唱音楽、音楽一般に触れて来た今日まで、自分の中での音符に対する考え方は、常に動いていました。多くの音楽家と、触れ合いながら、感じてきたことも多くあります。多くの事を教わった、クルトレーデル氏
(指揮者)・フォルカーレニッケ氏(指揮者)・村田健司氏(声楽家)・神田詩朗氏(声楽家)西野隆三氏(声楽家)木下武久(声楽家)らの教えは、常に今の日本の音楽会に対するアンチテーゼでした。疑問点、、どうして・・・と言うことでした。今も自分の中に、『どうしてこんな事ができないのだろう』と考えつつも、自分の前にあるものをこなしてきました。しかし、自分の指導している合唱団は、高齢化、、、新しいことにチャレンジする好奇心は薄れるばかり、、、
常に自分の中では、どのようにしたらよいのか、、、この試行錯誤の連続でした。

目の前にぶら下がる、ブルックナー、、、やはり、楽譜に忠実に、、、と言うことで、打ち出した、ポルタート唱法、ブルックナーのスコアには、ほとんど付いていないスラー、これは、捨てられない、、、従って慣例的にレガートにうたうことをやめて、ポルタート唱法に終始し、慣例的な、ラテン語の発音も見直し、母音をきちんと、切り離し、4年前のクリスティアン・ハンマーのドイツ語の読みのディクションよりヒントを得て、読み方をしっかり統一しようとしています。
やはり言葉が存在する音楽では、言葉が伝えられなければやる意味が無いと考えるので、極論過ぎるかもしれないが、叙情的に流れる旋律美と、フレーズ感とは、逆らっても、言葉を出そうと考えている合唱になっている、昨年の魔笛においてのドイツ語のディクションも、そう考えて稽古を積み上げました。オーケストラの練習も同じスタイルです。音と音がつながりすぎていて、明瞭さに欠けている現実をいかに、湧いてくるフレーズ感に仕上げていくのか、、、指揮者に会わせるのでなく、いかにして自発的に表現していただけるか、、、
 昨年は、特にひとつのスタイルとして、解釈して、同じ道をキャスト・合唱団には、歩いていただきました、、、今年も、そのように努力しておりますが、なかなか、前の歌い方は抜けないものですが、今まさに直そうとしています。


もう一つ第9をやっています。
これは、もう本当に大変な作業ですが、、、言葉は、口語で行い、上述の叙情的な、歌い方を廃止し、ドイツ語の節度ある、言葉の言語感を第一にかかげやっております。合流するのが、ベルリンのアマチュア合唱団で、彼らがどのような発音をしているのか楽しみでもあります。余分に歌わず、言葉のみをきちんと伝えるのを目標として、練習しています。

我々日本人は、余分な事をいっぱいしている・・・そう思えて成りません。